うみこと日記

アメリカ、カリフォルニアで暮らす日々。夫と二人暮らし、もうすぐ新しい家族が生まれます。

アメリカの絵本

How My Parents Learned to Eat (Sandpiper Houghton Mifflin books)

あるアメリカ人女性と話す機会があり、”How My Parents Learned to Eat" という絵本のことを知りました。

私自身がアメリカ人と結婚したこともあり、この絵本に興味を持ち、早速図書館で読んでみました。

絵本は、アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれた女の子のこんな言葉から始まります。

ご飯と味噌汁を前にして「家では箸で食べる時もあればフォークとナイフで食べる時があるよ、全く変じゃなくて、うちではこれが普通だよ。」

横浜に寄港したアメリカ水平さんと日本の女子学生が恋に落ち、お互いに好意を抱きながらも、お互いに相手の国の食べ方を知らないためにデートを躊躇うところから、アメリカ水平さんは日本料理屋に箸の使い方を習いに行き、日本の女子学生はイギリスに行ったことのある叔父にフォークとナイフの使い方を習い、最後には二人で西洋料理屋と日本料理屋で食事をし、結婚を約束しあう‥‥。

そしてトーストを前にして「だからうちでは箸でも食べるし、フォークとナイフでも食べるんだよ。」

 

小さい子どもに異文化を学ぶ大切さを伝える貴重な絵本であるとは思いましたが、この絵本とそれを絶賛する方々には、正直、違和感を感じました。

日本でフォークとナイフが一般大衆化していなかったとなれば、戦後から少し経った頃の設定でしょうか。

まず、そんな時代にアメリカ水平が恋に落ちたのが女学生というのが腑に落ちない。

この時代はアメリカ兵に遣える”女子事務員”なりホステスなり、アメリカ兵に接する仕事に従事する女性が多かったのではないかと思います。女学生と水平の恋より、こういった仕事についていた女性との恋との方が確実に多かったと思うのですが、まるで彼女たちの存在を隠すかのように、ただ単に女学生を相手に選んでいる点に不自然に思ってしました。まあ子供向けの絵本ではありますが。

私は夫の家族と食事をしている時、箸を持ってこようかと自分にだけ言われたことがありました。その時、「日本でもフォークとナイフは普通に使われてるので、慣れているつもりだし、この食事で箸は必要ない。」と言った覚えがあるのですが、その後彼らにフォークとナイフの使い方を褒められました。おいおい、21世紀だよと思ったものですが、日本でも同じように、夫が箸で食事をしていると褒めてくる人がいました。

何を言いたいかというと、日本で銀器が一般化されているように、アメリカでも箸が普通に使われる今の時代に、いまだこんな風に褒めてくる人がいる現状で、箸と銀器を文化差異に挙げ、その文化差異を学ぶことで恋に落ちるというストーリーの単純化は、異文化理解への役割を担うのではなく、むしろ新たに産まれてくる子どもたちに今まで存在しているステレオタイプを押し付ける危険性があるのではないかということです。子供図書の決定版また推薦図書にしておくのはどうなんだろう。今の時代にあった異文化理解の本が次々と出て、子どもたちに読まれることを強く願います。あと、小さい頃から家族でいろんな食事を一緒に食べながら学ぶといった家庭での草の根運動も食を通じての異文化理解には大切なんではないでしょうか。

最後に、もう一点。

元教諭の白人女性がこの本をべた褒めした時に自分が感じた違和感は、白人アメリカ人が外国風名前を耳にした時によく言う、”That's a wonderful/beutiful name."を聞いた時に自分が感じる不快感と同様のものを感じたのです。もしかしたら全く違うものかもしれません。この不快感はまだうまく言葉で説明できないので、もう少しこの点は自分で考えてみたいと思います。